屯田兵として家族とともに使命に服さんとして徳島県の士族29世帯、和歌山県37世帯、山口県44世帯、福岡県12世帯、熊本県46世帯、福井県20世帯、石川県32世帯、計220世帯1056名が相模丸にて小樽入港、明治22年7月14日上陸、翌15日汽車で琴似駅下車、徒歩で現在地に到着、屯田兵第4中隊本部に入り兵屋の割振りは抽選で夫々入居した。屯田兵第1大隊の指揮下にあり(1)屯田兵として北方防備第一線に献身する(2)北海道開拓の先駆者となることの二大使命があった。兵は連日厳格な軍律のもとで教練を受け家族も又教令に従って開墾に励み開拓の大きな使命を遂行した。子孫のため楽土建設に汗を流したのである。これ等氏子の団結によって今の屯田があり江南神社も2度3度の建替により現在に至る。