明治36年3月、野島源一郎他数戸して現在の国道36号線沿い(通称野島の坂)に入植し、輪厚2番地に小祠を建て大國主の大神を奉斎した。その後開拓が進むと共に、戸数も増加し、同地区にある奥輪厚神社・上仁井別神社の老朽甚だしきを以て1社への統合を氏子に相談し合祀をする。更には千歳・恵庭方面の開拓著しく進展するにより、輪厚国道周辺の人口急増に伴い、輪厚神社及び入植地神社を合祀するに決し、大正9年4地区氏子に諮り現在の上輪厚77番地に社殿造営をし、神社名を輪厚神社とした。昭和3年には社殿等の老朽甚だしきを以て、新社殿造営を決し、発起人・世話人等の篤志寄付により現在地に社殿を造営し、更には社殿築後40数年を経て老朽化甚だしきを以て、昭和50年社殿造営をし今日に至っている。