明治26年徳島県より西の里へ入植した近下徳一が代表で明治31年出雲大社に参拝し分霊を受け、地域の守護神として155番地の小高い所に5坪の社殿を建てた。明治29年10月1日道庁より貸付地払下げ通知があり、その日を例祭日と定める。その後、数多の変遷があり現在地へ造営する。