文久2年12月、庄内藩がハママシケを支配するために川下に陣屋を設け、屋敷内に八幡神社を建立したことに始まる。翌年の7月15日、荘内より御分霊を頂き奉斎した。その後、庄内藩の陣屋引き揚げにともない荒廃したが、地域住民によって陣屋の門外に奉遷され祀られた。大正2年12月28日、村社に列せられる。神職は高橋乙吉、南茂市、南和宏と奉仕されてきたが、昭和41年1月24日に南和宏宮司が死去してから現在に至るまで宮司欠員神社となっている。