明治23年8月、兵庫県三原郡神代村からの本道開拓入植者、森金蔵が開拓の守護神として、焼山番外地に祠を建て郷土の八幡神社の御分霊を、奉斎した事に始まる。明治39年に最初の社殿を造営、同時に開拓記念碑を建てて以来入植者の手によって維持管理され、昭和9年に2度目の社殿造営が行われその後、度重なる改修を経て、平成3年11月鎮座百年を奉祝し、社殿を造営した。翌年、大規模な境内整備を行った。